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 1.

「カイルぅぅ…」
 夜の散歩から戻ってきたケイの、半ベソかいているような呼びかけに、カイルは読みかけの本から目を上げた。
「ケイ? どうかし…?」
 のほほんとした問いかけは、うっすらと目を潤ませ両手でスカートを握り締めるケイの姿に、中途半端な形で途切れた。思わず席を立ったカイルは、戸口で立ち尽くしているケイに急いで歩み寄った。
「何かあったのか? 村で石でも投げられたのか? それとも森でフクロウにでも突付かれたか?」
 心底心配してはいるのだろーがそのわりに間抜けた問いを聞き流し、ケイはカイルの腕をがしっとつかむと、意外に強い力でぐいぐい引っ張った。
「いーからちょっと来てよお! すっごく変で気持ち悪いんだからぁ!」
「ならトイレに…」
「ばかぁ!」
 ケイは、カイルの的外れな意見を一喝し、彼をずるずると館の外へと引きずり出した。カイルにしてみれば簡単に払いのけられる膂力であったものの、このキャットウーマンにはどーやっても逆らえない事に加え、ケイがこーゆー反応を見せる珍しさに、闇の貴族たる彼は素直に後に従った。蒼みがかった黒の絹糸のごとき髪、仕立ての良い衣服に品よく包まれたすんなりとした体躯。その双方になんら遜色なく形を成す白皙の面差しは、際立って整っていたものの、それに付随しがちな、冷酷な印象は微塵もない。むしろ穏やかな顔立ちを今、困惑と苦笑に変え、内奥から覇気を迸らせる少女に導かれるままという姿から、一体誰が想像できよう。彼が、吸血鬼という、全き、そして闇に冠たる強大な魔物であるなどと。だが、この様を見て口の端(は)で嘲笑(わら)う唯一の男はここにはいない。ゆえにカイルは、ケイに引きずられるまま、森へと入っていった。
人外にして闇の「モノ」達は、その名に恥じない足取りで、衣擦れ一つたてる事なく暗い森の中を進んでいった。と、先導のケイがふと足を止めたかと思うと、そのまますっと腰を落とす。
「ケイ?」
「しーっ!」
 カイルは、声を抑えて手招きするケイに、小さくやれやれとため息をつきつつ、その指示におとなしく従って身を屈めた。それを確認してから、獲物を前にした猫科独特のしなやかかつ慎重な足運びでゆっくりとさらに歩を進めたケイは、程なく標的を見つけて素早く樹木の陰に身を隠した。そして、付き合いよく無言でそれに続いていたカイルに身振りで自分が隠れている樹木の向こう側を指さしてみせる。
「…?」
 首を傾げながらそろそろと彼女の肩越しに向こう側を覗き込んだカイルの口から、思わず驚きの声が飛び出しかける。
「あに…っ!?」
 とっさに自分の両手で押さえた口を、さらにケイが必死で押さえる。
 茂みの先、わずかに木立のひらけた場に、紛うかたなき「彼」の姿があった。途切れた梢の間から冷え冷えと降り注ぐ蒼く細い月光に、何故かくっきりと浮かび上がる美麗な後ろ姿が。
 忘れたくても忘れられず、かといって喜んで思い出したくもない、完璧で完全な兄が、自分の視線の先で声もなく静かに天上を見上げている。だが。
"気づいて…ない?
 驚きから覚めたカイルは、ふと眉根を寄せた。常ならばとっくに気づかれて冷ややかな揶揄を放たれているところだというのに、今度は一体何を企んでいるものやら、ちらとも反応を見せない。それとも何か別の、周囲に全く意識を割けない程の、どんな物思いにふけっているとでもいうのか。と、すぐ近くで、こくりと唾を飲み込む小さな音がした。
「ケイ?」
「ちょっと、見ててね」
 そう、意を決したようにささやいて、ケイはおもむろに猫の姿に戻ると、カイルが止める間もなくするりと茂みの下に潜り込んでいった。 カイルが、一体何をと勘ぐる間もなく前方に未だ悄然と立ち尽くしている兄の足元に姿を現したケイは、まだ彼女に気づいていない――!?――ラルクに向かってニャア、と半ばケンカ腰に(「ちょっと、あんた!」くらいであろうか)に呼びかけた。
"うわ、なんつー思い切った事を…!
 が、一瞬血の気の引いたカイルの表情が、次の瞬間、全く違う意味で強張った。
 ケイの声にふと振り返ったラルクが、足元の彼女に気づいて、ふわりと微笑んだのである。
「やあ、さっきの猫ちゃんか」
 あろー事か、その声音までもがなんと温かく優しい事よ!
 そしてラルクは、あまりのショーゲキに全身の毛を逆立てて固まっているケイへと手をのばし、そっと抱き上げた。
「どうしたんだい? お家に帰ったんじゃなかったのかい?」
 ひいいいいいいっ!!
 声にならない悲鳴を上げる猫(と、樹木の陰から覗いている弟)にこれっぽっちも気づく事なく、ラルクはケイを優しく抱き寄せながらさらに恐ろしいセリフを吐く。
「なら今夜は一緒にいてくれるかい? …私も行く所がないんだ」
「う゛あ゛あ゛あ゛っ!」
 耐え切れなくなったカイルが遂に絶叫を上げた。そしてそのまま茂みを蹴散らす勢いで、異常な兄めがけて突進する。
「ななな、何いきなりトチ狂ってるんだ、あんたわッ!?」
 頭をかきむしった手を下ろす勢いで、カチンコチンに硬直しているケイをその腕から奪い返す。
「変な血にでも中ったんじゃないのか!?」
「――…血?」
 黄金に輝く目をまん丸にしてきょとんと訊き返してくる兄、などとゆーものを、よもや目撃する事になろーとわっ!
 ぐわあ、と全身を走った悪寒を必死で抑えつけ、なお反撃にかかるカイル。
「いーかげんにしろよ、兄貴! 今度は何企んでやがる!?」
「……」
 ラルクは答えない。ただ、まじまじとカイルを見つめ返すばかりだ。常日頃の被害者側として警戒しまくっていたカイルの方が次第に心配になってくる。
「お、おい…? 兄貴? …もしもし?」
 平生ならばしばかれ確定の、「目の前で手をひらひら」をやっても芳しい反応がない、と思わずカイルが本気で心配になってきた丁度その時、他者を魅了せずにはおれぬ妖しの口元がゆっくりとほころんだ。知らず、殆ど条件反射でずざッと後ずさったカイルに対し、にっこりと微笑んだラルクは、心底安堵したようにこう言い放った。
「良かった。お知り合いの方ですか。では、大変申し訳ないんですが、私の名前を教えて頂けないでしょうか?」
 びきり、と、世界が割れたよーな気がした。


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