5.

カイルは、物言わぬメイドがそつなく――ケイは化け猫呼ばわりされた事に怒り狂って部屋にこもってしまったので――運んできた紅茶を一気に飲み干した。楚々と注ぎ足される二杯目を見やりもせず、何事もなかったかのよーに静かにカップに口をつけているラルクを、苦虫を噛み潰したよーな顔で見つめる。
…話が進まねーなぁ…
 しみじみと、そして長々とした嘆息が洩れる。もう、その数を数えるのすら諦めてしまったが、これから先もずっと続くであろう永い人生の一生分のため息とゆーものを使い切ってしまった気さえしてきていた。それでも、と、カイルは重い口を開いた。
「あの、さー…」
「はい?」
 思わず滅多に覚えた事のない殺意を抱いてしまう程に屈託のないにこやかな返事を返すラルクに、またしてもくじけそーになるカイル。
 でも負けない。
「何か思い出せない? 自分の事とまでは言わないけど、どうしてあの森にいたのかとか、誰かに会ったとか、何があったのかとか…」
「それがですねー…」
 カップをソーサーに戻し、ポリポリと頭をかくラルク。
「昨夜も言った通り、気が付いたらあの森にいたんですよねえ。なんかテクテク歩いてましたから、どこかに行く気だったみたいなんですが」
「みたいって…、ンな他人事みたいに…」
「はあ、すみません」
「いや、頼むから謝らんでくれ」
 余計精神的に来るから、という台詞をなんとか口内でごにょごにょとごまかし、紅茶と一緒に飲み下したカイルは先を続けた。
「他は?」
「何も。私もずっと考えてはいるんですが…」
 つらそうに笑ってみせる兄に、カイルはふと言葉が過ぎたかと口をつぐんだ。そして、急かすのはやめようと紅茶のカップに手をのばす。
 そうしてわずかに生まれた静かな間に、ラルクの吐息とカップをソーサに戻すカチャリという音が響いた。
「ホントに…」
と、ゆっくりと言葉を継いだラルクが、困ったような情けなさそうな笑顔をカイルに向ける。
「至らない兄で、すみません」
てへ。
 ――ブラック・アウト。

「…さん! …ルさん! しっかりして下さい、カイルさんてば!!」
 はっ!
 揺さぶられまくってようやく石化から復活したカイルは、その途端ひどく心配そうな表情のラルクに顔を覗き込まれている事に気づいてまた、びくうッと飛び上がった。が、ラルクの方は、カイルの意識が戻ったと知って、ホッと肩の力を抜く。
「どうかしたんですか? いきなり目の焦点は合わなくなってるわ固くなってるわで、びっくりしたじゃないですか」
誰のせいだ、誰の!!
 と、叫びたいのをぐっとこらえる。しかしラルクは、そんなカイルの努力もどこ吹く風と、言葉を続けた。
「私はカイルさんだけが頼りなんですから、しっかりして下さい」
 ざざざぁっ!
 カイルの体表一面が瞬時に鳥肌立つ。そこに駄目押しの「ねっ」が来たとあっては瞬間冷凍もいいところだが、そこはなんとか踏みとどまる。
「…これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ。これは夢だ…!」
「カイルさん…?」
 不審顔のラルクをひとまず無視しておいて、カイルは必死で自分にそう言い聞かせた。真偽のほどはさておいて、そうとでもしておかなくてはこの場の話が進まない。すうう、と大きく深呼吸をして仕切り直すべく口火を切ろうとしたカイルだったが、そこでまたしてもラルクに機先を制される。
「あれ? ねえ、カイルさん?」
「…っ、何!?」
「夜が明けてますよ、ほら」
と、白々とした光を洩らし始めているカーテンを指さし、なおかつ開けようとでもゆーのか、窓辺に歩み寄るラルク。
「…夜明け…」
「わーっ! 何考えてんだーッ!?」
 ふと足を止めてぽつりとそう呟いたラルクの声も聞こえず、慌てて駆け寄ったカイルは立ち尽くしている兄の腕をつかんで強引に引っ張った。
「判った! 話の続きは明日の晩でいいから、とにかく寝るぞ!」
「え? ええ…」
 カイルに引きずられながら、魅入られたようにカーテンから洩れる光を見つめていたラルクの口が、ふと、皮肉に歪んだ。

 確か、初めてラルクを見たのは、母のスカートの陰からだったと思う。まだ正式に引き合わされる前、ずいぶん堂々とした人だなと思ったのをはっきりと憶えている。それから、とても冷たい目をしているなぁ、とも。でも、長じるにつれ、それが少しだけ緩んできた気がして。その分いろいろとトラブルに巻き込んでくれたりもしたけれど、それでも…。
――…やなもん見たなー…
 真っ暗な棺桶の中でぼんやりと目を開けたカイルは、はああ、と重たい吐息をついた。確かに本当のラルクは『すっげー自信家で冷淡で(以下略)』だが、今の妙に出来のいい兄に比べたらよっぽどマシだ。あのやけに善良な言動を思い返すにつれ、思わず目頭が熱くなってしまう。
 ううう…。
 思わず頭を抱えてしくしくとかなしー涙を流してしまったりするカイルであった。と。
 ごん!!
 突然棺桶の蓋を外から思いっきり打ち据えられ、びくんと飛び上がったカイルはこれまたしたたかに頭を蓋にぶつけてまた頭を抱えた。
「…って〜!?」
「さっさと起きろ」
 …その声は!?
 がばと蓋を跳ねのけてその声の主を見やると――。
 そこに立っていたのは、紛うかたなきあの(!)兄だった。嫌味なほどに落ち着き払い、冷淡な視線でカイルを見据えている。だが今は、その冷ややかな態度すら懐かしく…。
「あに…」
「いつまでも間抜け面をしていないで上がって来い。話が…」
「おにーちゃーん!」
 がしっ!
 ラルクの言葉をさえぎって、カイルは思わず兄に抱きついた。
 一瞬の間をおいて。
「…カイル?」
 はッ!!
 頭上からの冷たい御声に怖くて見上げる事もできず、ラルクの胸に抱きついたままのカイルの顔面を恐ろしい勢いで冷汗が流れ落ち、そして。

 『少々お待ち下さい』(ちゃんちゃらちゃらりらちゃんちゃんちゃ〜♪)

「まったく、いつまでたっても子供だな」
「…言いたい事はそれだけかい」
 場所は変わっていつもの居間。主よりも堂々と腰を据えて紅茶を飲むラルクの足元に、まだボロボロのカイルが伏せっていたりする。
「寝ぼけて抱きついてきておいて、何を言う」
 そんなんじゃないもん…。
 しくしくと乾いた涙に暮れるカイルを放っといて、ラルクは勝手に話を始めた。
「つまらん呪いだ。てっきり不発だと思っていたのだがな」
「呪い?」
 ようやく復活したカイルが椅子に座り直しながら訊き返す。軽く頷いたラルクは、珍しく事の経緯を滔々と話し始めた。
 彼を憎み、けれど力のない男が付け焼刃の呪いに手を出した事。そしてその呪詛が完結する間際にラルクが男の下を訪れた事。
「んじゃ、そいつは…」
「ああ、舌を噛んで死んだ」
「自分の命をかけてまで…?」
「いや。私の名前を発音しきれなくてな」
 ばたーん!
 弟が椅子ごと後ろにひっくり返ったのにも動じず、涼しい顔で紅茶をすする兄。
「最後の最後に私のフルネームを唱え切れれば呪いは完成していたんだろうが、丁度その時現れた私を見て動転したようだ」
「んな馬鹿馬鹿しい…」
「人間ごときがよく調べ上げて発音できたと、まあ、それだけは誉めてやってもいいがな。それで残された覚書を見てみたんだが」
 力がなくて家族を守れなかった男は、その力を殺戮者から奪ってやろうとした。ラルクから記憶を奪い、吸血鬼たる力を忘れさせてやろうと。そうして寄る辺もなく夜をさまよい、獣や魔物に殺されてしまえばいいと。もし、運良く夜を生き延びたとしたら、朝日を見た瞬間に記憶を取り戻し、成すすべなく絶望を覚えながら灰になってしまえばいい、と、男は自分が考えられる最高に残酷な方法でラルクの死を望んだ。
「…それで元に戻ったわけかよ」
「カーテン越しの日光のおかげでな。皮肉なものじゃないか、この私が日光に感謝するとは」
 くく、と冷たく笑ったラルクは、カップをテーブルに戻すと、立ち上がった。
「兄貴?」
「邪魔をしたな」
 そつなく寄ってきたメイドからコートを受け取って、ラルクはそのまま戸口に向かった。その背に、訝しげなカイルの声が追いすがる。
「ちょっと待て。それで何で俺ン家に向かってたんだ?」
「……」
 肩越しに振り返ったラルクは、じっとカイルを見つめ、それから、きょろっと明後日の方向に視線を逃がした。
「て…っ、てめーっ!! やっぱり俺でうさ晴らしする気だったなーッ!」
 カイルの罵声に返ったのは、ラルクの、ついぞ聞いたことがない程に一点の曇りもない、明るい笑い声だった。
「世話になったからな。この数日の事は忘れてやろう。それで良しとするんだな」
 ひい。
 やってしまったあれやこれやを改めて思い出したカイルの顔面から血の気が引いていく。それを見てまた笑ったラルクは、「ケイによろしくな。優しいカイルさん」と言い残し、夜へと消えていった。
 残されたカイルが、へたり込んだ床から立ち上がれるよーになるまで、かなりの時間を要したのは、言うまでもない。

                    <FIN>  


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(管理人より)
チャットがあった2003年末に、「もしラルクが記憶喪失になったら…」な会話から、始まった気がします。
戴いてから掲載まで、えらい日が空いてしまい、すみませんでしたm(__)m

いやもう、爆笑しましたー。
こんな弱々しくて情けないラルク、初めて見ましたし、描きましたともw
まぁカイルの動揺っぷりはいつものことで(笑)
どうも有り難うございました。